できるだけ多くの海事人材を世に送り出す(その6)

おはようございます。

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ということで、ちょっと題目から遠のいているような気もしますが、私の自己紹介的な昔話を。

将来どんな仕事がしたいですか?

商船高専の4年半の座学を終え、練習船に乗っていた時のお話。

外航の船会社に内定が決まっていた私は、練習帆船日本丸で同じ会社に内定の決まっていた商船大学航海科のHさんと同じ班になりました。

Hさんは、明るく、社交的でお酒が好きで、いつも飲んでワイワイ言っているイメージでした。

ある日、日本丸は、九州のとある港に招待され、寄港しました。

そこで盛大な歓迎を受け、船内の一般公開も行いました。

そんな中、地元のラジオ局がやってきて実習生にインタビューをしたいとのこと。

そこで選ばれた(自薦?)Hさんは、ラジオのインタビューを受けることになりました。

詳細は、忘れましたが、最後の質問の答えだけは鮮明に覚えています。

「将来どんな仕事がしたいですか?」(アナウンサー)

「歌って踊れる船長になりたいです!!」(Hさん)

この時からでした。私が、大学とはどんなとこだろう、大学生活ってどんなんだろうと思い始めたのは。

卒業後、大学に編入することも検討しましたが、すでに内定が決まっており、家も貧乏だったことからそのまま就職しました。

船乗りになって、いつしか、大学に行ってみたいなんて思いは忘れていました。しかし、船乗りを辞める1年ぐらい前ですかね~、辞めた後のことを考え、陸上の会社に移るのであれば、大学ぐらい出てた方が良いのかと思い始めました。そして、Hさんのことを思い出し、大学ってどんなとこなんだろうと。

商船高専を卒業した当時は3年に編入できる大学が4つしかなかったのですが、船乗りを辞めるころには、運がよく、一般大学の3年次編入が可能になっていました。

3月に船乗りを辞め、学費が安い国立大学で受けられるところを全て受けていけば、1つぐらい受かるところがあるだろうと、九州から近畿まで受けれそうなところの願書を集めました。

そして、とりあえず、5月に受験できる2校の願書を出しました。

1校目の受験は、知り合い(大学院生Y君)が居たこともあり、受験に遅れないよう、受験の前日にY君の部屋に泊めてもらいました。

受験日、目覚めは、悪夢によって起こされました。

その夢は、なぜか私が居た船会社のコンテナを乗せた飛行機が煙を上げながら墜落するというもの。ちょうど墜落したところで目が覚めました。

そして、受験会場に着くと、そこには、大勢の受験生が!!なんて倍率が高いんだ!!!と半ばあきらめ気味。

そして、学科試験は、数学・力学・英語だったのですが、一番得意としている数学の問題は、ほとんど解けず、力学は数学よりましでしたが、どう考えても5割程度の出来、なぜか、一番不得意科目であった英語が、6割ぐらいだったような。

正直、筆記試験が終わった時点で、「終わった」と思いました。

そして、重い気分の状態で、午後の面接試験に臨んだのでありました。

つづく

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