おはようございます。
お陰様で、海技塾.comの訪問者数が、3,000人を超えました。
では、お約束どおりタイトルと関連した話をしたいと思います(その1,その2)。
今回は、ちょっと前、ある商船高専生が、「何のために勉強してんだろうか。特に船員になりたいわけでもなく、給料いいってゆう単純な考えで来てしまったこの学校。2級から上いるのかな・・・」とつぶやいておりましたので、自分の場合について振り返ってみました。
目指せ国士!!
私が商船高専に在学していた時代、運動系のクラブに入っていた4年生は、夏休み前の高専大会を最後にクラブを引退していました。
携帯電話もなく、インターネットもなく、ほとんど娯楽などなかったあの時代。
クラブ活動に出なくなった寮生活は、退屈な日々となりました。
そして、座学もあと1年ほど。何となくこのまま普通に過ごせば卒業は出来るんだろうな~と思い始めた時、それではつまらない、卒業証書だけもらってもつまらないと思い始めました。
そして、始めたのが国家試験である二級海技士(機関)の筆記試験の勉強でした。
実は、私が1年生の時、母親が担任から「船に乗るのなら二級海技士の筆記ぐらいは、取っておいた方が良い」と言われたらしく、1年生の頃から地元の本屋で予約して、機関長コース(後に海技士コース)という雑誌を買ってくれていました。
ただ、私は、勉強を始める気になれず、ほとんど中身を見もせずに、本棚に並べられたままでした。
4年生の夏休み明け、何となく二級海技士(機関)の勉強を始めようかな~と、その雑誌を眺め始めていましたが、何だか難しそうだったし、なかなかやる気になれませんでした。
そして、10月の定期試験を受験せずにいたところ、その後入手した10月の定期試験の問題を見て驚きました。
「問題傾向が易しくなっている!。しまった、もう少し早く勉強を始めていれば、10月の定期試験で何教科か取れたかも。もしかしたら全部受かっていたかも」と。
それからでした。ちゃんと勉強を始めたのは。
とは言うものの、勉強は試験前の1週間だけという、日頃勉強する癖が付いていない私は、なかなか長時間の勉強を行なうことが出来ませんでした。
そこで、学校から帰って、2時間だけ国家試験の勉強をしようということにしました。
あとの時間のほとんどは、もちろん、国士○双を目指していましたが(笑)
過去の問題集をコピーし、問題を切り取ってルーズリーフに貼り付け、答えを自分で書く。
これを2月の定期試験まで行いました。
そのまとめが終わったのも確か1週間ほど前だったと思います。
試験は、大阪の友達の家に泊まり、わざわざ近畿運輸局(当時は大阪港)へ。
まあ、堂々と学校が休めるというのと、何となく受かり易いという噂をたよりに。
そして、受験。
出題問題の約8割の予想を的中させ、何となく手ごたえを感じました。
そして、合格発表。
私のクラスからは、5,6人ほど(4人までは覚えています)が受験したのですが、クラスでトプのH君とそんなに成績の良くない私だけが全科目合格!!
その後、いつも国士○○を目指して○雀をして遊んでいたのを知っているクラスメイトの多くが、私が受かったのを聞いて「あいつが受かるんなら国家試験受けてみようか」と次の定期試験を目指しました(笑)。
そして、・・・・・
ちょっと長くなったので、次回につづく!!